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ダムの知識
その2

ダム建設ラッシュの時代へ!

大正期末になると、水力発電のために本格的なダムや堰堤が建設され始めました。

信濃川水系で最初に建設されたダムは黒又ダム

魚沼地域で最初に建設された黒又ダム

重力式コンクリートダムの黒又ダムは上条発電所で使う水を溜めるために建設されたダムで、上条発電所は昭和2年2月に運転を開始しました。

北越水力電気株式会社による建設であり、この頃の目黒家当主である目黒文平は大正10年から、文平が亡くなる昭和11年まで北越水力電気株式会社の監査役も務めていました。

魚沼地域で最初に建設されたダムは「黒又ダム」このフォルムは現在では珍しく貴重なダムとなっています。

黒又ダムが貴重といわれるのはナゼ?それは4つの大要素にある!

堤体と同化した大岩

黒又ダムの越流路

①建設時期の早さ
黒又ダムは信濃川水系で最古のコンクリートダムとされています。一般財団法人日本ダム協会のWEBサイト『ダム便覧』によると、重力式コンクリートダムとしては全国でも30番目くらいの建設となり、新潟県内では飯豊川第一ダム、小荒ダムに続いて3番目に建設されたコンクリートダムです。
②特徴的なダムの外観と構造
黒又ダムの最も大きな特徴は石張りコンクリートダムである点です。黒又ダムはダム表面を石積みとし、内部に大きな石とコンクリートを充填する工法で建設されています。石張りコンクリートダムとして現存しているのは新潟県では黒又ダムのみと思われます。また、左岸側では大岩を堤体の一部に利用しており、右岸側には大規模な越流路が設けられる珍しい構造となっています。
③歴史的意義
この地域に大きな影響力を有していた目黒家との関わりや、長岡を中心とする中越地区の電力需要の増大に対応して建設された点、長岡における電気化学産業発展の基盤の一つとして機能した点なども重要です。
④現在も建設当初の姿を残す
これは黒又ダムの最も大きな価値であると言えます。現在の黒又ダムは、排砂ゲートの設置など一部建設当初より手が加えられていますが、大部分は原形を留めています。飯豊川第一ダムや小荒ダムも元々は石張りコンクリートダムでしたが、後に改修されて現在は石張りではなくなっているので、黒又ダムは建設当初の姿がほぼ残っている貴重な存在なのです。

百聞は一見に如かず、是非その目でご覧ください。冬期間は道路が閉鎖されるので、6月上旬~11月上旬までが見ごろですよ。

堤頂すべてラジアルゲートなのが特徴的

ラジアルゲートが特徴の薮神ダム

昭和16年に完成した薮神ダムは、北越水力電気株式会社が建設した水力発電専用の重力式コンクリートダムです。新潟県内では7番目に建設されたコンクリートダムで、堤頂はすべてラジアルゲートとなっているのが特徴的です。ダムの水は水路トンネルで約4キロ下流の薮神発電所に送られます。水路トンネルの建設工事中には、雪崩により飯場が壊される事故がありました。犠牲となった朝鮮人労働者を悼んで、薮神発電所の近くには殉職碑も建立されています。

建設時には雪崩により多くの方が殉職されたようです。普段何気なくある構造物にもたくさんのドラマがあります。見かけた時はそっと心の中で声をかけてください。「ありがとう」…ってね。

中越地区の産業発展に大いに貢献

魚沼の水が産業発展の原動力に

昭和前期に破間川流域では北越水力電気株式会社により、長岡を中心とする中越地区の電源地帯としてダムと水力発電所の建設が進みました。その背景には中越地区の電気需要の増大や、長岡における電気化学産業の発展があります。

戦時期は電力統制により、比較的大規模な発電所は日本発送電に、その他の発電所は地方ごとの配電会社に編成され、新潟県を管轄する東北配電は昭和17年に発足。北越水力電気株式会社など新潟県内にあった電力会社も東北配電に統合されました。

水力発電のためにダムを建設する手法が増えた時代でしたね。いつの時代もダム建設は大変ですが、道路も整備されていない、大型機械もない時代はとりわけ苦労が多かったことでしょう。実際にその目でダムを見ることをおすすめします。

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戦後、関東の電源地帯に!

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