開高健と奥只見湖(銀山湖)② 奥只見の魚を守る精神
前回は開高健のエッセイから山菜などに関する部分を紹介しました。今回は奥只見湖の自然保護について紹介したいと思います。
開高健が初めて奥只見湖(銀山湖)を訪れたのは1970年5月のことでした。それから二週間後の6月に再訪し、三回目に訪れた時は6月から8月までの長期間、奥只見湖畔の銀山平の釣り宿「村杉小屋」に滞在しています。この時は奥只見湖で60センチを超える巨大イワナを釣るためと、小説『夏の闇』の構想を練るための滞在で、開高健の釣り紀行『フィッシュ・オン』に詳しく記されています。
その後、奥只見湖は釣り人の間で巨大イワナがたくさん釣れる場所として有名になり、釣り人がたくさん来たので魚があまり釣れなくなってしまいました。その頃の様子を開高健はこのように書いています。
以前には天然のイワナがサケ大に育ち、ルアーが流行するようになってからよく釣れたりし、放流のニジマスも野生化してみごとに育ったのが釣れたもので、日本全国からルアー・キャスターが殺到した。そして、たちまち魚はスレてしまい、釣れなくなった。誰も彼もが釣れなくなった、小さくなった、姿を見なくなったといいだしたのである。渓谷や山上湖で魚が釣れなくなる原因の最大のものは上流の森の乱伐、それによる鉄砲水、農薬による微笑昆虫や小魚の絶滅などがあるが、そのために残りすくなくなった魚を漁師たちがやらずぶったくりで大小かまわず、産卵期も何もかまわずに釣りまくったら、止メを刺すことになるのである。
開高健著『定本 私の釣魚大全』「ツキの構造」より
奥只見湖の魚が急激に少なくなったことを問題視したのは、日本のルアーフィッシングの草分けといわれ、開高健の釣り仲間であった常見忠や写真家の秋月岩魚氏、銀山平の釣り宿の主人たちでした。有志達は当時の湯之谷村や釣りの仲間たちに呼びかけ、1975年4月25日に有志により「奥只見の魚を育てる会」が発足します。開高健によると
ただ銀山湖に魚をふやして大きくするにはどうしたらよかんべ、という集りなのである。(中略)そこで私たちはルアー師、フライ師、ミミズ師、イクラ師、ピンチョロ師、各派大同団結してこの湖を蘇生、復活させることを決意し、この不況の物価高と女房のブツブツを無視して、敢然、一名一万エンを投ずることをこの春、都内某所に集って議決したのである。
開高健著『開高閉口Ⅰ』「われら、放す。故に、われら在り」より
ということで、会長には開高健が就任することになりました。開高健は『フィッシュ・オン』の取材でアラスカを訪れた際、釣った魚を殺さずに放す「キャッチ&リリース」の考えに触れ、銀山平でも実践していました。また、村杉小屋に滞在していたときには十和田湖の養殖漁業や食物連鎖の話などをしており、それが銀山平の人たちにも影響を与えていたといいます。
「奥只見の魚を育てる会」は奥只見湖の漁業権を持っている魚沼漁業協同組合に新年度の会費の大半を寄付すると共に要望書を提出して交渉をし、「北ノ又川本流および支流のすべてを向こう三年間禁漁にすること」、「新潟県条例によって行なわれている禁漁期間(十一月一日~同十五日)を銀山湖の周辺に限って十月一日より翌年四月二十日までとかいていすること」の二点に関して合意を得ることができました。そして、毎年、奥只見湖に注ぐ北ノ又川(銀山平を流れる川)にイワナやヤマメの放流をすることにしました。第一回目の放流を開高健は
氷雨の降りだした寒流のなかに魚を放してやると、大中小、みんな一瞬に体をひるがえして上流に頭を向け、私のはいているゴム長にぴくぴくと口をぶっつけてくる。私は魚を釣っても大小かまわず逃してやるというスポーツ・フィッシャーマンだが、こう無垢に頭をそろえて慕いよってこられると、私の内部に奥深くひそみわだかまる殺生の叢根はかなり広い部分があえなくとけて、消えていった。
開高健著『開高閉口Ⅰ』「われら、放す。故に、われら在り」より
と書き記しています。
1977年からは北ノ又川に専任の禁漁区監視員を置き、密漁者の取り締まりにも当たってきました。1981年には北ノ又川の石抱橋より上流は水産資源保護法に基づく保護水面区域に指定され、北ノ又川が永年禁漁区となりイワナなどの乱獲が阻止されることとなりました。それまではサケ・マスの保護水面はありましたが、イワナ・ヤマメを対象とした保護水面の設置は全国でも初めての試みでした。

石抱橋より上流は永年禁漁区
1989年に開高健は亡くなりました。その二年後の1991年に銀山平の石抱橋のたもとに開高健の文学碑が建立されます。文学碑には「河は眠らない」という開高健の言葉が刻み込まれています。

「河は眠らない」文学碑。これより上流は禁漁区域
「奥只見の魚を育てる会」では、10年ほど前から魚が産卵しやすい場所を作る「人工産卵床」の造成にも力を入れています。また、魚沼漁業協同組合は2016年に奥只見湖一帯をキャッチ&リリース区域に定め、イワナ、ヤマメ、ニジマスの捕獲は1人1日5匹以内としています。

キャッチ&リリースを呼びかけ
ダムの建設は立地する地域の自然環境に大きな負荷をかけ、人間の生活を含めて自然環境を大きく変えていきます。日本有数の大規模ダムである奥只見ダムではそれが顕著ですが、奥只見湖の場合には環境保全活動の意識も高く、今でも開高健が残した釣りと自然保護の精神は奥只見湖に根付いています。
この記事を書いたのは...

- ダムの知識ガイド:目黒公司
- 一般財団法人日本ダム協会が任命するダムマイスター(一般)。
これまでダムについての講演などを開催。新潟県魚沼地域振興局の『うおぬまダム周遊MAP』制作監修。過去に開催されたダムの見学ツアーではバス車内ガイド等を担当。