開高健と奥只見湖(銀山湖)① 山菜の味と岩清水
作家の開高健は芥川賞を受賞した『裸の王様』をはじめ、数多くの小説やルポルタージュを発表しました。また、多彩な趣味も持っていて、文学や酒、釣り、旅行などのエッセイも多く著しています。
特に釣りに関しては国内のみならず、世界中の海や川を旅して釣りをしていました。開高健は奥只見湖にも何度か釣りに訪れたことがありますが、奥只見湖に関してはただ釣りをするだけでなく、環境保全活動や食べ物の面でも大きな足跡を残しています。今回から三回に分けて開高健と奥只見湖について紹介したいと思います。
開高健と銀山平
開高健が初めて奥只見湖(開高健の著作中では「銀山湖」と呼ばれることが多いです)を訪れたのは1970年5月のことでした。前年に日本のルアーフィッシングの草分けといわれる常見忠氏から奥只見湖で60センチを超える巨大なイワナが釣れるという話を聞き、興味を持ったためです。
奥只見ダムが完成して大規模な湖ができると、巨大なイワナが釣れるようになりました。イワナは川の最上流に生息する魚ですが、通常は川の上流は餌が乏しくイワナはそれほど大きくは育ちません。しかし、奥只見湖はもともとイワナが生息していた場所をダムでせき止めて巨大なダム湖を作ったため、イワナの餌が豊富となり巨大イワナが育つようになったと言われます。

銀山平の風景
常見氏からそのことを聞いた開高健は、1970年5月20日頃に奥只見湖沿岸の銀山平を初めて訪れました。銀山平は奥只見湖の湖岸ですが、奥只見ダムとは別の場所にあり、国道352号線を枝折峠を越えた場所、シルバーラインの分岐する場所にあります。
訪れた時はまだ雪が積もっていましたが、新緑が輝いているのを見て開高健は「新緑の冬」という表現をしています。その時はイワナは一匹も釣れませんでしたが、二週間後の6月に銀山平を再訪しています。再訪した時は48センチのイワナや何匹かのハヤを釣り上げたのですが、やはり開高健の狙う60センチ以上の大物のイワナは釣ることができませんでした。
そして、6月に再訪したのち、もう一度銀山平を訪れ、今度は6月、7月、8月の約三か月を銀山平で過ごし、銀山平で小説『夏の闇』の構想を練るとともに、釣りに明け暮れる日々を送ることになりました。この三か月の様子が開高健の世界を周る釣り紀行『フィッシュ・オン』の最終章「日本」に詳しく書かれています。
開高健が泊まったのは銀山平の釣り宿「村杉小屋」(現在の「村杉」とは別の場所にありました)で、村杉小屋の横にあった小屋の二階の一室を借りて一夏を過ごすことにしました。まだこの時点では電気、ガス、水道は来ておらず、夜は石油ランプで過ごす生活でした。
具体的にどのような生活をしていたのか、巨大イワナは釣れたのかなどは、ぜひ『フィッシュ・オン』を読んでいただきたいと思いますので、このコラムでは開高健がエッセイに書いている銀山平の水や山菜のことを紹介します。
岩清水と山菜
まず、岩清水です。銀山平で開高健は「ここでは私は超一流品と呼べるような水を飲んだ。」として、イワナを釣りに歩いている時に見つける沢や雪解け水を「この水は水晶をとかしたようである。純潔無比の倨傲な大岩壁をしぼって液化したかのようである。」と表現しています。
ピリピリひきしまり、鋭く輝き、磨きに磨かれ、一滴の暗い芯に透明さがたたえられている。のどから腹へ急転直下、はらわたのすみずみまでしみこむ。脂肪のよどみや、蛋白の濁りが一瞬に全身から霧消し、一滴の光に化したような気がしてくる。
開高健著『白いページⅠ』「飲む」より
次は山菜です。「昭和四十五年、銀山湖にこもったとき、私はフキのトウ、ヤマウド、アケビの芽、コゴメ、ミズナなどのとれたてをウンと食べて探求にふけった。」と、銀山平では山菜をたくさん食べたことをエッセイに書いています。村杉小屋の女将さんが摘んできた山菜を言われるままに食べていき、ある予感を言葉にできそうになったようです。
物には”五味”などというコトバではいいつくせない、おびただしい味、その輝きと翳りがあるが、もし”気品”ということになれば、それは”ホロにがさ”ではないだろうか。これこそ”気品ある”味といえないだろうか。ことに山菜のホロにがさである。それには”峻烈”もあり、”幽邃”もこめられているが、これほど舌と精神をひきしめ、洗い、浄化してくれる味はないのではないだろうか。(中略)しかし山菜のホロにがさには”気品”としかいいようのない一種の清浄がある。この味は心を澄ませてくれるがかたくなにはしない。ひきしめてはくれるがたかぶらせはしない。ひとくちごとに血の濁りが消えていきそうに思えてくる。
開高健著『白いページⅠ』「続・食べる」より

採れたての山菜 (写真提供・(一社)魚沼市観光協会)
このように、開高健は銀山平に逗留中、山菜をたくさん食べてその「ホロにがさ」を「気品ある味」とたたえており、他のエッセイでもしばしば山菜の味について語っています。
ゼンマイとりとマイタケとりの話
また、村杉小屋で聞いた話として、ゼンマイとりやマイタケとりの話も開高健のエッセイに登場します。
ゼンマイとりは重労働で、山を上り下りした後に、採ってきたゼンマイを大鍋でゆで、ムシロに広げて天日干しをします。
超重労働をするのに山には脂肪らしい脂肪が何もないから、塩漬けのクジラの脂身を町で買ってきて山入りをする。そのかたまりを縄でしばって小屋の天井からぶらさげ、飯だとなると、それをひっぱって味噌汁の鍋にドブンとつける。ギラギラと脂がでたところで手をはなすとクジラはするすると天井へあがる。つぎの飯どきになるとまたそれをひっぱってドブンである。
開高健著『開高閉口』「男と女は山でもこうちがう」より
と、クジラで脂肪分を摂取していたことを書いています。他にも、山では栄養が少ないので、マーガリンを肴にして焼酎を飲んだことも書かれています。
マイタケとりに関しては、「トオチャン」はお目当ての木に一直線に登っていくが、それでは他の人にマイタケの出る木がばれてしまう。「カアチャン」は
あの木がくさいと思うと、まっすぐそこへはいかずに、右へ右へと山をよこぎっていく。ずいぶんきてから、つぎに左へ左へともどっていく。それからまた右、それからまた左というぐあいに、ジグザグに山を歩く。これがカアチャンの陽動作戦である。
開高健著『開高閉口』「男と女は山でもこうちがう」より
そして、何時間もかけて目指す木に忍び寄るそうで、これを我慢強くやらないと他の人にマイタケの木がばれてしまうという、とても面白い話を村杉小屋では聞いたそうです。
きのめと緑川
開高健は壽屋(現在のサントリー)のコピーライターであった時期がありますが、サントリーの佐治敬三元社長のエッセイにも銀山平での思い出があります。
ある時、開高健が佐治社長夫妻を銀山平での釣りに誘ったことがありました。夕方に村杉小屋に着くと開高健から佐治社長はルアー釣りの手ほどきを受けます。
夕食にはこの時期、このあたらい独特の「きのめ」(あけびの若芽)を丼に山もりに賞味した。さっとゆでて、くるみと醤油をかけただけ、その歯ごたえとほろ苦さがたまらない。
佐治敬三著『へんこつ なんこつ』「開高健」より
このように、佐治社長も銀山平の山菜のほろ苦さが気に入ったようです。また、
町なかには鮎で名高い魚野川が流れていて、開高のたびかさなる銀山湖行の基地として、清酒緑川は開高の推奨するところとなった。
佐治敬三著『へんこつ なんこつ』「開高健」より
と、小出の地酒の「緑川」も開高健が推奨していたようです。

「きのめ」(あけびの若芽)生卵で食べると絶品(写真提供・(一社)魚沼市観光協会)
今回は開高健のエッセイから銀山平の山菜や石清水を取り上げました。今は雪が積もっていて奥只見や銀山平には行けませんが、雪が解けたら訪れてみてはいかがでしょうか。新しい味との出会いが待っているかもしれませんよ。
この記事を書いたのは...

- ダムの知識ガイド:目黒公司
- 一般財団法人日本ダム協会が任命するダムマイスター(一般)。
これまでダムについての講演などを開催。新潟県魚沼地域振興局の『うおぬまダム周遊MAP』制作監修。過去に開催されたダムの見学ツアーではバス車内ガイド等を担当。